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商工連ニュースにいがた掲載記事

[まちの元気じるし]有限会社 貫木産業
広神商工会(商工連ニュース22年11月号掲載)

新潟県の中央東部に位置する魚沼市は山々に囲まれたのどかな地域です。
今回は、旧広神村にある「有限会社貫木産業」をお訪ねし、代表取締役の今井幸吉さんと、息子で専務取締役の今井満さんにお話を伺いました。

         つなぎ
  有限会社 貫木産業

  946-0111
   
新潟県魚沼市並柳2番地


    TEL:(025)799-2654

    FAX:(025)799-3133
専務取締役:今井満さん、代表取締役:今井幸吉さん

 

世界に誇れる技術

記憶に新しいバンクーバー・オリンピック。(有)貫木産業は、ソリ競技「リュージュ」で国産初として開発されたソリの“クーヘ”と呼ばれる部分を製造した企業です。
従業員6名の小さな町工場でありながら、木材にプラスチック粒子を浸透させるWPC(Wood Plastic Combination)の高い技術を持ち、世界にも通用すると称されています。一般的な含浸率をはるかに超える技術で、今井社長が「命をかけた」この開発は、世界に名を馳せる有名企業でも成功しえなかったもの。高度且つ、全く新しい技術だったため、開発当初は周囲の反応もいま一つだったそうです。
それから約10年。オリンピックでの起用が大きな転機となり、今、国内外で注目され始めています。
  

木を知り尽くす  

今井社長は今年で63歳。祖父の代からキコリを業とし、自らも製材技師となって、1976年に(有)貫木産業を設立しました。
創業から間もなく、冬仕事として、木製ゴルフヘッドの製造加工を始めました。人一倍、研究熱心な性格で、ただ単に加工するのではなく、素材を活かし、より高品質に仕上げることを考えながら取り組んだそうです。木の弱点でもある「割れ」や「狂い」を解消するため、季節や温度差で微妙に変化する木質のデータを採取し、分析。時に専門家に意見を求めながら、どう扱ったら最適な状態が保てるか、“科学的な裏付けの取れた”莫大なデータをまとめ上げました。
データを基に製造した試作品を手に、ゴルフメーカーへ2年間通い、ようやく製品の試用が実現。結果、その精巧性が認められ、製造のすべてを引き受けることになったそうです。
地道な努力が功を奏し、“新参者”でありながら、高い評価を得ることが出来たのでした。
  

夢があるから、惨めじゃない

やがて、ゴルフヘッドの素材がメタル等の金属に替わり、受注は激減していきました。
「自分は木しか扱えない。強度が弱点なら強化させよう。WPCの研究をして製品化させたい。」と、新たな目標を持ちました。とは言え、その後の売上は平年の2割以下になり、止む無く従業員を減らし、給料を半分にした時期もあったそうです。
「必死で食いつなぎ、残った従業員と、何とか製品にしたい!という強い気持ちで頑張ってきました。家族には骨を折らせましたね。でも夢があったから、貧しいと思った事は一度もありませんでした。」と力を込めて話してくださいました。
WPCの技術開発は、今井社長の分析データを基に、県の研究所との共同開発により、11年の歳月をかけて取り組みました。1995年に含浸技術を、1998年には、その含浸樹脂の染色技術の実用化に成功しました。  
優しいフィット感のウッドアレイや、木目が美しい雑貨や調度品など幅広い商品に加工され、他社には決してマネ出来ない、独自の技術が確立しています。

 

当社の技術が使用されている『園芸用ハサミ』   木目が美しい雑貨や調度品   『木製万年筆』10年経っても品質はそのまま

ウマイ話には裏がある…

技術開発に成功してから、様々なウマイ話が舞い込むようになったそうです。しかし、例え大企業が相手でも、納得のいかない取引に応じる気は微塵もなく、これまで通り、お互いの信頼関係を大切にした経営方針を貫いています。
また、苦い経験もありました。とある企業から技術力を認められ、契約まであと一歩のところで、これまで知り得なかった “学閥の壁”にぶち当たり、悔しい思いをしたと言い、このことから、「自分達のような企業がこれを越えるためには、一つ一つ実績を積み重ねていくのみ。」という強い信念が持てたそうです。

 

三世代かけて築き上げる

リュージュの “クーヘ”製造は、既に来季に向けた準備に取り掛かっています。また、ある大手メーカーの一大プロジェクトへの製品採用が決まり、更に技術力をUPさせ、気合い十分。大きな自信に繋がっています。
今井社長の口癖は、『急ぐな』。飛行機の離陸のように、滑走路いっぱい、時間をかけてゆっくり進むのが理想だそうです。
「たった今の利益が欲しいのは当然ですが、今取り掛かっている仕事は、利益以上に、(有)貫木産業が一つずつ階段を上って行く上で大切な過程です。」と今井社長。
「だから、ウチはいつまでも貧乏なんです…。」、と隣で満さんが笑います。

これまでの父の努力と苦労を労い、「固められた頑丈な土台に、自分が基礎を造り、城はまた次の代に。三世代で会社を築いていきたい。」とのこと。
小さな町工場で誕生した『世界一の技術』は、今ゆっくりと動き始めたところなのかもしれません。