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商工連ニュースにいがた掲載記事

[まちの元気じるし]新潟第一酒造 株式会社
浦川原商工会(商工連ニュース22年3月号掲載)

新潟県上越市は人口約20万人を擁し、平成19年4月に特例市へ移行しました。
今回は浦川原区にある、総勢7名の小さな酒蔵、新潟第一酒造(株)をお訪ねし、四代目の武田良則さんにお話を伺いました。

  新潟第一酒造 株式会社

  942-0315
   
新潟県上越市浦川原区横川660

    TEL:(025)599‐2236
FAX:(025)599‐2237
    URL:http://www012.upp.so-net.ne.jp/hakucho/
代表取締役(兼醸造責任者) 武田良則さん

小さな蔵の大躍進

新潟第一酒造(株)は、昭和38年に近隣4軒の酒蔵が合併して設立されました。
蔵元の長男として生まれ、飲むコトは好きでも、造るコトには興味がなかったという武田さん。ところが、大学四年の夏に交通事故で大怪我を負い、東京での就職を断念…。
体が治るまでの下働きのつもりで家業を手伝い始めました。事務仕事に始まり、社員の退職で営業担当となりますが、
「どこへ行ってもウチの酒の評価が低く、ショックでした。いずれ東京に戻るつもりでしたが、このまま辞めたら負け犬みたいで悔しい、何とか挽回したいと思っていました。」
と、当時を振り返ります。
やがて杜氏の引退による後継問題に直面し、それなら自分がやる!と手をあげました。こう見えても読書家で、それなりの知識はあったものの、実際の酒造りに関してはまだまだ素人。
善は急げと早速、東京の醸造試験所で短期研修を受け、すぐにその年の仕込みから引継ぎを受けました。
基本を忠実に守りながら、年々クオリティを高め、長年の雪辱を果たすべく、近年は全国新酒鑑評会で入賞するまでになりました。
 
仕込みの様子 搾りの様子

青年部活動で得たもの  

武田さんは29歳の時、人望ある先輩に誘われて商工会青年部へ入部し、その後、部長職や県青連の理事を務められました。
「部長時代は、いかに皆で楽しむかを考えて、たくさんの笑いを提供してきました。苦しい時にクルシイと言わず、そんな時こそ笑っていたい!脳天気なようですが、経営者の立場でも、
日々の行動や気持ちの部分で心掛けています。青年部活動のお陰で、地域の良さにも気付くことができ、自分にとって大きなターニングポイントになりました。」
と話してくださいました。
県青連では、県内各地の同世代・異業種の方々と出会い、いろんな見方や考え方に触れ、影響を受けたそうです。これからも互いに刺激し合っていきたいと、目を輝かせていました。
 

『ありがとう』の魔法

平成18醸造年度から、武田さんが杜氏に替わる醸造責任者となりました。蔵人制を廃止して、人員は従来の約三分の一になりました。
「少人数でも安全に取り組めるシステムを研究して、人員配置や製造計画を大幅に変更しました。生産量も減っていた時期で逆にやり易かった面もありますが、我ながらいいオペレーションを作ったと思っています。昔から個人主義だったのですが、酒造りに携ってから、個々の長所にも目を向けられるようになり、“人の輪”が解るようになりました。随分丸くなったと思われているんじゃないかな…。まずは自分が変わりたかった。愛読書をヒントに、自分から『ありがとう』と言うようにしたら、周りも変わっていきました。」
と語り、酒の評価が上がったのは、係わる人みんなの気持ちのあらわれだと、受け止めておられます。
 

“安らぎと喜びと感動を伝える酒造り”

平成20年11月に代表取締役に就任した武田さん。
名刺には、“SAKEエバンジェリスト”と記してあり、伝道師として、日本酒の素晴らしさを伝えていきたいとの思いが込められています。
「座右の銘は“お陰さま”です。自分一人の力なんてたかが知れている、人様のお陰で生きられると思っています。人の心に響くモノ、造り手が見えるモノが求められる中で、同じように頑張っている蔵元がたくさんあるのに、なかなかその努力が報われない。それはもしかしたら情報が伝わっていないからなのかも知れない。だからこそ、伝えるという事をしなければいけないと思っています。」と言い、人の輪を通じた、様々な機会を大切にされています。

リーダーとしての苦悩を、持ち前の決断力と切替えの早さで乗り越えて、“まだまだ修行中!”の気持ちで今日も酒と向き合います。
目指すは、大吟醸での金賞受賞!小さな蔵でもノウハウがあることを証明したいと、従業員一丸となって切磋琢磨しています。
 


山あい建つ、酒蔵の全景