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商工連ニュースにいがた掲載記事

[まちの元気じるし]給{嶋木材:黒姫商工会(商工連ニュース19年7月号掲載)

柏崎市は新潟県の日本海側のほぼ中央に位置し、その南部・黒姫山の麓に位置する「黒姫地区」は、刈羽地方の名山「黒姫山」にちなんで旧黒姫村が誕生(昭和三十一年)したときの名称です。また「黒姫」は、国指定重要無形民族文化財である民俗芸能「綾子舞の里」としても知られています。
今回は、黒姫で生まれ、地産材を用いた家づくりを実践し、住むほどに風格を増す本物の住まいを追求すると評判の有限会社宮嶋木材の宮嶋正彦社長と先代の宮嶋一彦会長を訪ね、お話を伺いました。


宮嶋一彦会長

宮嶋正彦社長
有限会社 宮嶋木材
住所:新潟県柏崎市半田1丁目9ー5
群書洞ビル

TEL:0257‐24‐8688(代)
FAX:0257‐21‐8288
URL:http://www.miyajima-moku.jp/

苦労の時代を経て

 有限会社宮嶋木材は、中・上越を営業エリアとして地産材にこだわった木造注文住宅・ソーラーサーキット住宅を請け負っています。会社の創業は戦後間もない頃の時期にさかのぼり、当初は地元の山の木を切り牛に材木を引かせて集材し製材していました。 昭和三十年代からは、小さな作業所で製材した材木で家を作った時代が長く続き、昭和五十一年頃より本格的に建築業に取り組み、昨年で三十周年を迎えたそうです。 一級建築士でもある現社長は、柏崎市内の建設会社に勤務した後、平成六年から家業に入り、これを境に法人成りしました。昔の山から木を切り出す作業は、人馬一体となった大変な作業で、会長は「大変な思い・苦労をして南部牛を買い大事にして家族同然だった。牛がみじめでかわいそうで。今でも時折夢に出てくる。」と大変な時代を振り返ってくださいました。

育てた人が見える

 木は植えてから、七十年から百二十年を経て切り出され製材されます。四代も五代も前から下刈りをし枝打ちをして木は育ちます。会長は「その何代も前の人の苦労を見ているから無駄にしてはならん。」と言います。越後杉は雪で押されるため、根元が1m近くも根曲がりします。曲がったところを残せば山から出す作業も随分楽になりますが、あえて曲がったまま切り出し山から下ろします。「育てた人が見えるから、どんなところでも無駄にできない。曲った所でも何かに使おうとする。適材適所に使うと鉄骨より強くなる。またそれが施主様に喜ばれる、そんな信念でやっている。雪国の木であるから曲がったものがあるし、製材をやっているから、そんな素材に出会える。当たり前にやってきただけ。」と語る会長の目に、力強い信念と自信を感じました。

親子二人三脚

 無駄にしないという信念は製材・施工の工程の中で、他の施工業者にはない力を発揮します。当社では会長が材木を見立て、社長が設計します。「せがれの設計図を見ると、材料が見えてくる。また、こんな材料ならこんな風に使おう・こういう設計だからこういう材料が使いたい。これが宮嶋流。よそでは真似が出来ない。(施主様に)黙って作るんだから。そうするとびっくりされ、感動され、喜んでいただき。毎年実行する展示会や近くにある常設展示場では、来場のお客様にその施主様が宮嶋流の説明役をしてくれる。」と。先に行われた新潟県木材組合連合会が主催する「越後杉デザインコンペ」では、完成部門で優秀賞・一般県民が投票する地域審査でも受賞され、ダブル受賞となりました。応募は県の担当者の勧めであったそうですが、「宮嶋流」がその道の専門家とお客様に評価されたのです。

戸籍が判る木・変わらぬ同じ職人

 地元の山の木を切り、それで家を建てる。当社にとっては昔からそれが当たり前でした。「安価な外材なんて考えもしなかった。」と会長。「外材はまっすぐなものだけで、曲がったものなんてない。」と社長。建前現場に行くと「どこの木のどこの部分だ。」「あの木目はここにいったか。」ということが全て判るといいます。切り出した木を製材した後、どの木をどこに使うか考えることで建物の強度や出来映えも変わってきます。また大工以外の左官・塗装・内装・屋根屋さんに至るまで「宮嶋流」を飲み込んだ何十年来の付き合いの、顔の判る職人が現場を担当します。遠方で予算以上の外注となっても、職人を変えることはありません。もちろんお客様にも余分を請求しません。素性の判る材料を慈しみ・無駄なく使い、外注も変わらぬ同じ職人。お客様がお考えのこと以上を必ず提供する宮嶋流なら、お客様から文句が出るはずはありません。

和風を極める

 今後の展望を伺いました。「宮嶋木材というと和風のイメージが多いんです。人がやらない事・真似出来ない事をすることが、地場工務店の生きる道と考えますが、まず『和風を極めたい』と考えております。そして施主様には『良〜くなったねぇ』と感動いただける住まいを提供し続けていきたいと考えております。」と社長は控えめにそして力強く語ります。 どこの現場でも同じ職人集団、全てにおいて昔ながら・自然体。「宮嶋流」は次世代に確実に受け継がれ、時代のニーズに合って、そして「新しい」と感じました。